2008年09月26日
小峰吐渓氏
小峰吐渓氏

1948年生
整体師(活法導引術)、実戦空手家、モータースポーツライター、音楽プロデューサー、といくつもの顔を持ち、渓仲間からは「渓のプロレスラー」として知られる。
瀬畑翁や川上さん、中尾さんたちは「ピーター」と愛称で呼ぶ。
百キロの巨体で周囲を威圧する外見からは信じられないが全くの下戸で、下戸同人ミルキーボーイズを結成。
私が吐渓さんと知り合ったのが2001年春に発行された「源流への旅・・・麗しのイワナロード」の販売活動だった。と言っても私は単に友人たちが登場する釣行記を世間に広めたかっただけで、吐渓さんとの直接な関係は無かった。それでも何度かのメールのやり取りを経て早出川支流割岩沢釣行を計画する関係に発展した。
ところが折悪しくその釣行は仕事の都合でキャンセルとなり、しばらくは交信も途絶えていた。
吐渓さんと再び交流を持ち始めたのが川上さんが音頭を取った2004年12月のクリスマス焚き火宴会。
この時初めて吐渓さんにお会いしたのである。
人の出会いと言うものはとても不思議なもので、人が人を呼ぶ。川上さんに知遇を得てからの私には色々な人との出会いが待っていた。この吐渓さんもそうである。
「新源流紀行」の出版、「自然を考える釣り人の会」での活動を通して個人的にも、そして息子佑次郎も含めて大変お世話になっている。
「おぎんちゃん、漸く渓泊まりに来れたな。」
先日の釣行で行先は変わっても7年を経て漸く実現した釣行のテン場でこう言われたものである。
「ルート大丈夫だろ?もうみんなと来られるよな。」
私に対してこの言葉を言う相手は川上さんに始まって中尾さんや吐渓さんである。私を案内することで次の世代へと引き継ぎをしてくれているのだ。
私はその責任を感じながらこれからも仲間と渓を歩くに違いない。
1948年生
整体師(活法導引術)、実戦空手家、モータースポーツライター、音楽プロデューサー、といくつもの顔を持ち、渓仲間からは「渓のプロレスラー」として知られる。
瀬畑翁や川上さん、中尾さんたちは「ピーター」と愛称で呼ぶ。
百キロの巨体で周囲を威圧する外見からは信じられないが全くの下戸で、下戸同人ミルキーボーイズを結成。

ところが折悪しくその釣行は仕事の都合でキャンセルとなり、しばらくは交信も途絶えていた。
吐渓さんと再び交流を持ち始めたのが川上さんが音頭を取った2004年12月のクリスマス焚き火宴会。
この時初めて吐渓さんにお会いしたのである。
人の出会いと言うものはとても不思議なもので、人が人を呼ぶ。川上さんに知遇を得てからの私には色々な人との出会いが待っていた。この吐渓さんもそうである。
「新源流紀行」の出版、「自然を考える釣り人の会」での活動を通して個人的にも、そして息子佑次郎も含めて大変お世話になっている。
「おぎんちゃん、漸く渓泊まりに来れたな。」
先日の釣行で行先は変わっても7年を経て漸く実現した釣行のテン場でこう言われたものである。
「ルート大丈夫だろ?もうみんなと来られるよな。」
私に対してこの言葉を言う相手は川上さんに始まって中尾さんや吐渓さんである。私を案内することで次の世代へと引き継ぎをしてくれているのだ。
私はその責任を感じながらこれからも仲間と渓を歩くに違いない。
Posted by 副隊長 at 08:31│Comments(0)
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