共に焚き火を・・・(2006.05.03~04)

副隊長

2011年05月14日 01:02

共に焚き火を



昨年のゴールデンウイークに初めて息子と渓泊まりをした。彼にしてみればそれなりに楽しかったらしく「今年も行くか?」と聞いてみると二つ返事で「行く!」と言った。「それじゃ!」と行き先を二人で相談し始めたのが先月中頃である。

 当初は「昨年と同じ場所でいいか?」そう息子に言って煩わしい場所選びを避けていた。ところが岩魚釣りに行った友人から「今年は奥鬼怒川も本当に雪が多いよ。」との情報が入り、どうしようか・・となったのである。

 息子と渓泊まりなどと偉そうな事を言ったところで行き先は大した事は無い。息子がそんなに歩ける訳も無く、ましてや二人1泊分の荷物を背負うのは私なのであるから出来るだけ楽をしたい。そこで思い浮かんだのが小屋泊まり。丁度いい小屋があるのだ。自然クラブのお膝元、大芦川東沢上流に”大芦川ヒュッテ”という無人避難小屋がある。小屋の前は綺麗に整備されてバーベキューに持って来いの場所である。唯一気になるのがゴールデンウイークで他にも人が居るのでは?という事なのだが、それはそれ、まあいいか・・・である。

 ところがそんな矢先にとんでもない事件が起きた。4月30日、私たちが行こうとしている大芦川の上流部古峰ヶ原高原にある古峰ヶ原高原ヒュッテで強盗拉致事件が起きたのだ。山で直接的な事件というのはあまりピンと来ないのだが実際に起きてしまった。そしてかなりニュースでも取り上げられ、何と何と我々が行こうとしている全く関係の無い大芦川ヒュッテまで画面に登場する始末。犯人は埼玉県に逃走したのが判っていながらマスコミというのは余計な報道をするものである。事件以来、警察やマスコミが大芦周辺をウロウロしているという。ヒュッテになんか泊まって職務質問などされても楽しく無いので小屋泊まりの計画は断念することとなった。

 息子に相談するとやはり自然クラブで遊び慣れた大芦川がいいと言う。どうしようかと何の気なしに場所選定の参考に大芦川釣り案内の用紙を取り出して眺めていた。「あれ?3日ヤマメ追加放流日!」これはこれは・・・。
 普通釣り屋なら喜ぶべき放流日なのであろうが我々親子は少し違う。人ごみを好まないのだから放流日などというお祭りの日は嬉しくないのだ。益々行き先が無くなってしまったではないか。
 そこで私が決定を下したのが大芦川東沢の上流部の河原である。大芦川ヒュッテの遥か上流部まで入って渓泊まりである。息子もよく知っている場所であり空身では何度か訪れている場所である。只一つ、そこは岩魚保護のための休漁区。釣りは出来ないのであるが我々親子には何の支障も無い。選んだ理由の一つが”それなら釣り人が来ない”なのであるから笑ってしまう。


 当日、自宅でのんびりとしていたら友人の小林さんから「今日、合流しても良いですか?」との問い合わせ。物好きな人も居るもんだと思いながらも息子は「誰か来るの!」と大喜び。大体の場所を教えて現地合流を約した。

 釣り人の混雑を嫌い午後から動き出す。大芦川の流れを見下ろしたのが3時頃である。大滝で軽く竿を出す。大滝から上流が休漁区となる。魚止メの滝ならぬ釣り人止メの滝である。この大滝のすぐ上に大芦川ヒュッテがある。宿泊者か野次馬か案の定車が数台止まっている。我々の車は荒れた林道を更に奥へと揺られて行く。

 

 林道脇の小広いスペースに車を止める。主の居ない春日部ナンバーの乗用車が一台。「また来ているな・・」この車の主は20年来夕日岳一筋に登っている方の車である。以前に2度ほどここで会った事がある。

我々もここで車を捨てて荷を背負う。今日の息子には私が日帰りで使うザックを背負わせる。それにはシュラフと着替えとテン場設営のシートなどが入っている。入り切らないジンギスカンプレートはビニール袋に入れて提げる。

「重い!」と文句を言いながらも「これ拾ってくね!」と枯れ枝を数本手に持っている。

「何に使うんだ?」

「焚火!」

なかなか可愛い奴である。

 

 目的の河原に到着。早々にテン場を設営。高台にテン場、河原に焚火宴会の場所を選ぶ。私がテン場を設営している間に息子が焚火場作りである。椅子になる様な平らな石を探して運ぶ。

「おじちゃんも来るんでしょ?じゃあ、石は3つだね。」そう言いながら適当な石を運んで来る。

「石を探したら焚火の木を集めろよ!」

「うん、判った!」

息子に焚き木の種類、運び方を教えて一切を任せる。

 テン場の設営を済まして降りて行くと結構沢山の焚き木を広い集めている。その一つの流木を手に取るとかなり軽い。乾燥しているのである。集めた焚き木は結構あるがこれでは多分一晩持つまい。

「木が乾燥してるからすぐに燃えて無くなっちゃうよ。」

「もっと集める?」

「そうだな、あと半分くらい。」

「ええっ!」

「じゃあ、その半分!」

「判った!」焚き木を値切る変な奴である。

 泊まる用意も整った。まだ飲み出すには早過ぎるので周囲を散策する事にした。ここでは釣りは出来ないので獲物は山菜である。何か有るかと眼を皿の様にして探したが何も無い。まあそれも良し。

  
 
 息子に渓の歩き方を教えながら上流の滝まで歩く。息子がここを歩いたのは過去3回。全てが雪の有る時期である。渓に於いてまだ硬い積雪の時期は歩きを楽にしてくれる。積雪が全てを隠し、大岩を乗り越えたり微妙なヘツリなどを無視してズンズン進んで行けるからである。

 そんな渓に無雪期に入ると全く違う顔を見せてくれる。それは私にすれば想像の域であっても息子にとっては想像外の厳しさになる。まだ小さくて渓道具が身体に合わず街歩き同様の足まわりで岩をよじ登る様に乗り越え、雪に荒らされたガレ混じりの岩肌をヘツる。足の下には轟々と水が流れる。全てが見えると言うことがどれほど怖いものなのかを知った様子である。

 見慣れた滝が前方で水量豊かに流れ落ちている。この滝が凍って冬眠している姿しか見た事の無い息子である。勢いの良い瀑水にしばし見とれている。

「来て良かったろう?」

「うん」

 テン場に戻り夕食の下ごしらえを始める。友人が来るまでに大体の支度を終わらせておこう。

 二人で仕事は分担である。水を汲んだり野菜を洗ったりと息子の動きは良い。今夜のメニューは野菜シチューと焼肉。それと私にすれば珍しい、いやいや初めてのヤマメの塩焼き。

 あらかた支度が出来上がり夕暮れが近づいた気配で焚火に火を熾す。予想通り完走した薪には自転車チューブ2枚の着火剤で容易に火が着いた。

 いよいよ焚火を囲んで宴の始まりである。
 
 ビールを2本開けた頃、友人がやって来た。ネットではウズラさんと名乗る小林さんである。今日はカメラ仲間と昼を共にして来たとの事。明日も大芦川に友人を迎えてバーベキューをすると言う。一緒にどうかと誘われたが至って気ままな親子であるから明日は明日という事で取り合えず再会の乾杯を交わす。

 小林さんが落ち着いて座る頃にはビール2本と氷結1本を空けてウイスキーへと移行していた。そこにジャックダニエルのボトルをドンと出された。嬉し涙である。
 手際良く酒の肴を出してくれる友人に否応無くピッチは上がる。
 
 渓の事、仲間の事、息子の事、川上さんの事、自然クラブの事、釣り人の会の事、話題は次々と移り変わるが日記を書く今の私には何を話したのか記憶が無い。飲んだ飲んだ、感想はそこに尽きる。息子はそんな親父に呆れ果てているのかと思えば結構面白かったと言う。こんな父親の代わりに小林さんが息子の世話をしてくれた様子である、感謝!

 呑んだくれの私であるがシチューを飲み、焼肉を食い、確か天ぷらを揚げたような記憶がある。フキノトウとコシアブラだ。息子が翌朝のウンコにコシアブラが入っていたと言うのだから間違いなく天ぷらを揚げたのである。私には珍しいヤマメも塩を振るのを忘れて味噌を付けて焼き直した様な気がする。全て”気がする”だけである。
 
 帰宅して撮った写真を眺める。暗くなってからの撮影分に1~2枚の記憶しかない。それでも結構色々撮っているのだから記憶に無いシャッターを切っていたのだろう。コシアブラを揚げている写真も見つけた。アルコハイマーは着実に進行中である。


 翌朝5時、一応の責任としてシュラフから這い出す。みんなが起きて来て寒く無いように焚火をと思ったら焚き木が無い。あれだけ有ったのに全部燃え尽きている。仕方ないので河原をウロウロヨタヨタとまだ酔いの残る足で歩き回り流木を集めて焚火を熾す。
 
 湯を沸かしてモーニングコーヒーと洒落ていたら急に気持ち悪くなって飲んだばかりのコーヒーを吐いてしまった。そこでよせば良いのに意地になってシチューを温めて飲む。しかし30分後にはまたまた胃の中は空っぽになっていた。諦めて再度シュラフに潜り込む。ウトウトし始めた頃に息子が起き出す。五月蝿い。テントから追い出して再度就寝。

 小林さんが起き出す気配がしているが睡魔に勝てずそのまま寝ていたら友人を迎えに行くのでもう出発すると言う。テントから声を掛けて別れの挨拶。飲み過ぎで失礼してしまった。

漸くテントから這い出して息子に朝食を作る。と言っても昨夜の残りである。
二人でのんびりと後片付けを始める。来た時と同様に仕事は分担。焚火周りの片付けは息子に任せる。
渓の河原全体に陽が射し始めた頃、帰り支度も整いテン場に別れを告げる。
また来よう。




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