2011年05月26日
仲間と渡る吊り橋(2006.07.01~02)
仲間と渡る吊り橋
2006年7月1日~2日 山形県荒川

掲示板のメールBoxに1通のメールが届いた。携帯には「メール有り」の通知が入っているのだがメッセージ内容は帰宅をしないと確認出来ない。誰からメールが来ているのかは携帯へのメッセージで判っていたから「何だろう?」と一日中気になっていた。意外な相手だった。
メールが来たのは朝なので返答が必要なモノなのかが余計に気になる。仕事を済ませ帰宅して早々にPCを開きメッセージを読む。
「週末の話題探しお供させて頂きたいのですが、お願いできますか?」
一瞬、「何の事だ?」と首を傾げたがすぐに判明した。それは朝、私が出掛けに書いた掲示板の書き込みへの反応だったのだ。それは大げさなモノではなく「今夜から行って来ますよ。」と言った読者へのメッセージだった。
メールの送り主は根がかりクラブの原さんだ。原さんとは八久和川天狗越えや袖沢での山菜採りで旧知の仲ではあるが、それは只メンバーに居たという感覚でお互いを誘い合っての釣行はまだ無い。
根がかりが動き出した!
嬉しい仲間の参戦であるから、早速電話を入れて同行を快諾したのは言うまでも無い。
今回の行き先は山形県荒川本流である。
別段何処でも良かったのであるが、今回の釣行は確実に雨の予報だ。雨を想定した場合には帰路の確保が重要である。テン場まで幾度も渡渉を繰り返したり、入渓に渡渉が伴う場所へは入れないのである。入渓後の雨についてはそれなりに諦めもつき、私の場合予備日は必ず念頭にあるが、行く前から大量の雨が予想される場合にはそれなりに頭を廻らすのが賢い釣り屋である。いやいや、大雨でも川に行こうとしている時点で既に「賢く無いぞ、お前はバカだ!」と言われてしまいそうではある。
当初、松井(以下まっちゃん)は「湯井俣で山菜採り!」と言った。湯井俣と言えばこの時期の足慣らしに丁度良く、山菜の宝庫でもある。しかしそれは通常の年の話であり、現在は八久和ダムに下る鱒淵林道の復旧工事が不安である。通行出来なければとんでもない林道歩きをさせられてしまう。まして入渓早々に渡渉しなければテン場に行けないのだから大雨と予報された週末に私の頭の中では既に「没!」であった。
田辺(以下ナベちゃん)との下相談で末沢川を候補に上げた。吊り橋があれば針生平からの山越え入渓が可能であるからだ。元々、仲間内に最初に末沢川への釣行を言い出したのは私である。石滝川に通っていた頃の事である。針生平を挟んで反対側の山越えに興味を持つのは自然の流れである。以後、仲間が毎年続々と入渓する中にあって言い出しっぺの私だけが何故か機会に恵まれず末沢川の水を飲んでいないのだから事ある毎に頭に浮かぶ渓ではあるのだ。しかし、考えてみれば雨の中を苦労して山越え入渓を果たしたところで、その先が進めないとの予測がつき今回も「没」、残念である!!
そんな中、あるメールの一節を思い出した。
「荻野さん、どんなに増水しても橋が有るから大丈夫ですよ、いい選択だと思いますよ。」
これは一昨年戴いた斉藤信之さんからのメールである。この時も末沢川入渓を目論んでいたが台風が来る予報が出ていた。当日小国まで行って末沢川を諦める天候の時のエスケープとして斉藤さんに問い合わせ、そして彼が奨めてくれたのだった。結果的に台風は前夜に去った後だったが末沢川どころか荒川の車止めに向かう林道が冠水通行止する程の増水で断念、急きょ岩手県まで転戦した顛末がある。
その時のメールを思い出して「荒川本流でカクナラ泊まりってどう?」となったのである。

荒川の車止め上流に架かる大石橋。私には想い出深い吊り橋である。私の源流釣り第一歩を記した石滝川から山越えでヘロヘロになって帰還して汗だくの身体を荒川に首まで浸かりながら眺めた吊り橋である。
「あれを渡ると祝瓶山に行くんだなぁ・・」
(その頃は石滝川源頭という思いのみで主峰大朝日岳は全く念頭に無い。)
そう思ったものだった。
「真ん中まで行くからさぁ、写真撮ってくれない?」
そう義弟に言い置いて橋の上に立ったのだった。
初秋の風に吹かれながら見下ろした水の緑に感動した。そしてその時、本人が気付かぬところで源流釣り屋への第一歩が始まっていたのだった。
爽快感の中で眺めた大石橋がとても印象に残っている。そう、大石橋こそが私の爽快感の原点なのかも知れない。
吊り橋というと頭に浮かぶイメージはどんな橋だろう?
私のイメージする吊り橋はいつもこの大石橋である。
荒川の車止めには何度か訪れていた。車止めからなだらかに下る道がそのまま荒川の流れに吸い込まれる。この先には車が入れる道は無い。源流への入り口に相応しい風景。車道が登山道や踏み跡ではなく川に吸い込まれるように消える。その風景の先に写る吊り橋。
それでもいつもこの橋には背を向けた釣行ばかりだった。でも、そんな折にも私は必ずこの橋を振り返り「行ってくるね!」と挨拶をしたし、帰還の際にはこの橋を眺める事で完結としていた。荒川の流れに足を浸し大石橋を眺める時だけに味わう郷愁とも懐古の情とでも言おうか源流釣り一年生の頃の自分が橋の上で手を振っている姿を見ていたのである。
橋というものは吊り橋に限らず目的に向かう者にとっては途切れた道を繋いでくれる。道はまだまだ続いているのに橋が無いばかりに気の遠くなるような遠回りをしなければならない時もある。戦争時にまず橋を落とす事が鍵とされたりもする。
橋の向こうに何があるのか・・・、新しい何かがあるのかも知れないし変わり映えの無いものばかりかも知れない。でも何かの区切りを付けたい時には打って付けの場面でもある。この橋を渡り切る事は過去の自分を乗り越えて行くこと。次にこの橋を眺めた時に見える自分は、橋の上で立ち止まって手を振っているだけなのか、ザックを背負い意気揚々と渡って行く姿なのか・・・。
と、何かを吊り橋に例えて重苦しく始めた遡行記であるが、内容は至って単純である。”やはり吊り橋は怖かった!”というお話。
大石橋を元気良く渡った一行は平坦な登山道を軽快に歩いて行く。小沢を渡渉し二つ目の橋を渡る。橋の規模は村の財政を反映してか縮小傾向にある。そして3つ目の橋は財政と人材不足を反映して更に縮小傾向にあった。
ワイアーに丸太1本の三つ目の橋。これに負けたのがまっちゃんである。
「あのぉ、怖いので下を行きます・・・」
「ン?あっそ、じゃあ下から写真撮ってちょうだいね。」
仲間の気持ちは何処吹く風、吊り橋を渡る自分たちの雄姿を写真に残す事が最優先するのである。
確かカクナラ小屋まで橋は3つであると原さんが言う。ナベちゃんも以前に来ている筈なのだが記憶が薄い。それでも「三つ目の橋を渡ってから40分くらいかなぁ・・」と二人とも声を揃えて言う。吊り橋をエスケープして渡渉したまっちゃんは足を流れに洗わせて、これ幸いと竿に仕掛けを結び始めていてカメラなんか構えている様子はまったく無い。
まあ急ぐ旅でもない、高台でまっちゃんを冷やかしながら小休止である。
原さんとナベちゃんが下を見下ろして声援を贈る。他人の釣りに興味の無い私は山側を眺めていた。
ん?!其処には頃合のヒラタケが・・・。
「ラッキー!」とばかりに二人に声を掛けると早速に二人ともヒラタケに心を奪われ、まっちゃんは一人渓底に置いてきぼりとなったのである。
興味の無いのも当たり前で予想通りと言ってしまえば簡単なのだが、やはりまっちゃんは1匹も釣れずに戻って来た。よせば良いのに「これくらいのが5~6匹!」と両手を20cm幅に開いて興奮している。竿を出していたポイントに岩魚が泳いでいたと言うのである。
「居るんなら釣って来いよ!」
と3人に叱られたのも当然であろう。まあ、まっちゃんだからいいか・・・。(笑)
食材にヒラタケを少量だけ採ってカクナラ小屋へと歩き出す。
「あと40分!」
気合を入れて急坂の登山道を登り切ると?????
「あれ!カクナラ小屋じゃない?」
「ホントだ着いちゃった・・・」
何と沢から1分で小屋に到着。40分がたった1分に気合抜けしたが、近い事は良い事だと肩からザックを下ろす。
ナベちゃんは小屋嫌い。
「高台に良いテン場が有って・・・」
と盛んに大玉沢のテン場まで行きたそうにしていたが、何と言っても雨である。夜にも雨が予想されるところに持って来て、目の前に小屋が有ってわざわざ野営するのは如何なものか?と全員の目が訴えている。原さんはさっさと小屋の一番奥にザックを運び込んで「ここに泊まる!」と意思表示。小屋泊まりと決定したのだった。
外は雨、小屋の中は真っ暗。
どちらを取っても快適さのカケラも無い。しかしそこは釣り屋である。”雨の釣りは釣れる!”と自分に言い聞かせて釣り支度を始める。こんな時、以前なら率先して「宴会!」と宣言。釣りもせずにそちらに雪崩れ込む可能性大だった。
しかし今回は原さんがいる。原さんばかりでなく根がかりの若手はみんな釣りが大好きである。そして袖沢でそれを目の当たりにした時から、私も渓を楽しむ彼らを見習い必ず釣りをする様になった。そしてナベちゃんは本来、無類の釣り好きである。全員一致で釣りに向かう。
原さんとナベちゃんに本流を任せる。私とまっちゃんは先ほどの沢に入る。状況は笹濁りの好条件、釣れない筈は無い。
そう、「釣れない筈は無いのだよ、まっちゃん!」(笑)
事細かく書いたところで増水気味の笹濁りでの釣り。状況は想像にお任せしますが、まっちゃん一人が意気消沈。「釣れない、釣れない・・」と先に進む内に何処でどんな大物を掛けたのか、竿を折ってしまった様だ。身体が大きいだけに気落ちしている様子は余計可哀想。私の竿を渡して私はまっちゃんの専属カメラマンとなる。
「あそこだ!此処だ!」と竿を出すポイントをアドバイスしながら歩く。
ポイントに竿を出す毎にまっちゃんは必ず私を振り返りニヤリと笑う。アタリがあるのである。しかし次の瞬間には脹れっ面に早代わりをしてしまう。アワセきれずに岩魚が鉤掛かりしないのだ。何度も繰り返した不発に切れ気味のまっちゃんは子供の様に水面を竿で叩き始める。
「おいおい、君が切れるのは構わないが俺の竿に八つ当たりするなよ・・」と心で呟く私である。
状況を見ているとドバの釣りに慣れていない様子。ブドウムシを使うようなアワセでは早過ぎて釣れないのも当たり前だ。私とて川上さんのお墨付きを戴いたくらい誰にも負けない釣り下手であるが、今の状況は上手下手を問うクラスの釣りではない。”わざと釣らないのか?”と疑いたくもなる。
私なりに釣り方を簡単に教えて1匹を釣らせる。コツが判れば後はダイジだ。その後数匹釣り上げてまっちゃんの機嫌も治った様だ。雨も強くなり、巻くのに厄介そうな滝が出たので納竿とする。
テン場に戻るが本流組はまだ帰っていない。まっちゃんと相談して小屋の前に宴会用のタープを張る。やはり宴会は外がいい。それと言うのも釣りから帰った時に見てはならないものを見てしまったからなのだ。
蛇・・・
小屋の入り口の引き戸下の空間に蛇の顔があったのだ。徐々に後退して見えなくなってしまったが、まぎれも無く蛇の顔である。私は蛇が大嫌いで蛇そのモノは言うに及ばず、蛇が居た一帯には近付けなくなってしまうほど嫌いである。
まっちゃんの必死の調査探索で蛇を捕獲。何と、マムシ君である。
まっちゃんはマムシを喰うと言い出すが「そんな事をするなら絶交してやる!」と脅しを掛けて思い止まらせる。しかしまあ、私の知り合いにはマムシに目が無い御仁が多い事、まったく困りモノである。そう言えば去年のマリちゃんは今頃はマムシ親父のお宅で焼酎の風呂でお肌スベスベ状態だろうか・・・。
床下に蛇が居る小屋で宴会なんか死んでもやるものか!
そんな具合でまっちゃんとタープ張りの準備を始めたのであるが小屋の前のベンチの上にタープがかかる様にメインロープを張るって一方の支柱として旧カクナラ小屋の屋根が丁度良い位置にある。
ロープを引きながら旧カクナラ小屋へと歩み寄る。屋根の棟を越えてしっかりとロープを・・・・と思いながら旧カクナラ小屋の入り口の軒天を見上げたらゲゲゲッ・・・!
今度はブッ太い青大将がいるではないか!
もうダメ、僕は何にもしない!!
とベンチに腰を下ろして不貞腐れたところに本流組のご帰還である。
本流組を迎えて怒涛の宴会へと突入。
こうして書いて来ると如何にも宴会に頃合の時間かと思われるだろうがまだまだ11時である。
しかし良いのだ!
話を聞くと本流はお祭り騒ぎの釣りだったらしく、原さんは「岩魚の口からカエルの足が二本!」と興奮冷めやらぬ口調で楽しそうである。ナベちゃんもいい釣りが出来たみたいである。我々二人を加えて全員が楽しい釣りを出来たというのは大満足である。
「昼、何喰うべぇ・・」などと言っている内にビールの空き缶が転がり始める。
氷結サワーにまで手を出し始めウダウダと際限の無い宴会は続く。寝不足と酒の酔いが回っているのとで誰の目も虚ろである。夜用の梅酒・ウイスキー・焼酎まで引っ張り出す始末で昼飯に何を喰ったか未だに思い出せない。ん?喰ってない・・・かも。
とうとう昼酒に原さんがダウンしたのを機会に昼の部を終了し全員沈没。
夕方4時過ぎ。明るいうちに夕飯の下ごしらえをしようと小屋から這い出しタープ下へ移動。まっちゃんも起き出して来て二人で酒の肴作りに専念。ちびちび飲み始めているとナベちゃんも参戦。何故かタープが大きく音を立て始め風も強くなる。
「ナベちゃんよ~、寝てていいからさぁ・・・。」
三人で笑いながら雨の宴会が始まる。
今日の宴会は匂いモノだらけ。それと言うのもまっちゃんが行者ニンニク絡みの料理ばかり作るところに私が行ニンキムチを持ち込んでいるからである。最近定番の岩魚ワンタンと味噌汁作りに手を動かしながらもシェラカップは定期的に口に運ばれる。口から流れ込むウイスキーは昼酒と合体して全身を駆け回る。
原さんが長い眠りから起き出した。良く寝て楽しく飲む若者である。
宴会は一気に明るくなり話題が次から次に繰り出される。川上さんや斉藤さんの思い出話が楽しく交わされる。渓の宴会で話題にされるのは二人にとって良い供養なのだ。
「あの時は・・・」
と斉藤さんと行った八久和川や荒川を思い出しながら楽しそうに話す原さんの目に涙が光っていた。
明けて翌朝。
雨の音は一晩中止まなかった。目が覚めて暫くシュラフの中でモゾモゾしていたが小便を我慢出来ずに小屋から出ると外は既に明るかった。小屋の中が暗いので夜明けが全く判らなかったのだ。
私が起き出した気配にみんながゴソゴソやりはじめる。今日は早めに上がって温泉と決めていたので全員起き出すと早々にパッキングが始まる。みんなは朝食を食べないらしく一人ラーメンを作り始めた。腹が減っては歩けないではないか・・。
ラーメンを喰い終わるのを合図のように帰路に着く。
「まっちゃん、今日は嫌でも橋を渡らないとね。」
原さんが笑顔でまっちゃんの顔を覗き込むように言う。原さんの言うとおり今日の荒川は濁流と化している。沢の方からも踊るような流れが吐き出されていた。とてもじゃないが橋をエスケープして渡渉など出来る状態では無い。
腰高のワイアーを頼りに丸太1本の足場を渡る。ナベちゃんが最初に渡り始める。今朝のナベちゃんは何故か身体を斜めに傾けながら橋を渡っている。
「どうしたのかなぁ・・」
そう思いながら私も次に続いた。
橋の中間に来てナベちゃんのおかしな傾き方が理解出来た。慎重に渡りながら足元を見るその目線の先に荒川の轟々とした濁流が写る。その流れに誘われて平衡感覚が乱れて来るのだ。まるで橋の上から引き込まれる様な感覚である。私は危うくラーメンを戻しそうになり口を硬く閉じたのだった。
私に続くまっちゃんは大きな身体に不似合いなほどヨチヨチとした足取りで、泣き出しそうな情けない顔をして渡って来る。自分が渡り切れば後は笑うだけである。原さんは平然として渡って来るので詰まらないなぁ・・。
ところで、我々は川を遡行したり壁をへつったりと日常的に当たり前の様なものだから1本丸太と言えども吊り橋と名の付いたものであれば上等と考えてしまうのであるが、この道は登山道である。登山道は老若男女問わずに歩くものだろうが、こんな橋を平然と渡るジジババやうら若き女性がいると思うと不思議である。山屋恐るべし!
さあ、大石橋に着いた。今回の釣行も完結である。
着替えを済ませて車道の末端、荒川の流れでシューズを洗う。
「また来るからさ、よろしくね!」
2006年7月1日~2日 山形県荒川

掲示板のメールBoxに1通のメールが届いた。携帯には「メール有り」の通知が入っているのだがメッセージ内容は帰宅をしないと確認出来ない。誰からメールが来ているのかは携帯へのメッセージで判っていたから「何だろう?」と一日中気になっていた。意外な相手だった。
メールが来たのは朝なので返答が必要なモノなのかが余計に気になる。仕事を済ませ帰宅して早々にPCを開きメッセージを読む。
「週末の話題探しお供させて頂きたいのですが、お願いできますか?」
一瞬、「何の事だ?」と首を傾げたがすぐに判明した。それは朝、私が出掛けに書いた掲示板の書き込みへの反応だったのだ。それは大げさなモノではなく「今夜から行って来ますよ。」と言った読者へのメッセージだった。
メールの送り主は根がかりクラブの原さんだ。原さんとは八久和川天狗越えや袖沢での山菜採りで旧知の仲ではあるが、それは只メンバーに居たという感覚でお互いを誘い合っての釣行はまだ無い。
根がかりが動き出した!
嬉しい仲間の参戦であるから、早速電話を入れて同行を快諾したのは言うまでも無い。
今回の行き先は山形県荒川本流である。
別段何処でも良かったのであるが、今回の釣行は確実に雨の予報だ。雨を想定した場合には帰路の確保が重要である。テン場まで幾度も渡渉を繰り返したり、入渓に渡渉が伴う場所へは入れないのである。入渓後の雨についてはそれなりに諦めもつき、私の場合予備日は必ず念頭にあるが、行く前から大量の雨が予想される場合にはそれなりに頭を廻らすのが賢い釣り屋である。いやいや、大雨でも川に行こうとしている時点で既に「賢く無いぞ、お前はバカだ!」と言われてしまいそうではある。
当初、松井(以下まっちゃん)は「湯井俣で山菜採り!」と言った。湯井俣と言えばこの時期の足慣らしに丁度良く、山菜の宝庫でもある。しかしそれは通常の年の話であり、現在は八久和ダムに下る鱒淵林道の復旧工事が不安である。通行出来なければとんでもない林道歩きをさせられてしまう。まして入渓早々に渡渉しなければテン場に行けないのだから大雨と予報された週末に私の頭の中では既に「没!」であった。
田辺(以下ナベちゃん)との下相談で末沢川を候補に上げた。吊り橋があれば針生平からの山越え入渓が可能であるからだ。元々、仲間内に最初に末沢川への釣行を言い出したのは私である。石滝川に通っていた頃の事である。針生平を挟んで反対側の山越えに興味を持つのは自然の流れである。以後、仲間が毎年続々と入渓する中にあって言い出しっぺの私だけが何故か機会に恵まれず末沢川の水を飲んでいないのだから事ある毎に頭に浮かぶ渓ではあるのだ。しかし、考えてみれば雨の中を苦労して山越え入渓を果たしたところで、その先が進めないとの予測がつき今回も「没」、残念である!!
そんな中、あるメールの一節を思い出した。
「荻野さん、どんなに増水しても橋が有るから大丈夫ですよ、いい選択だと思いますよ。」
これは一昨年戴いた斉藤信之さんからのメールである。この時も末沢川入渓を目論んでいたが台風が来る予報が出ていた。当日小国まで行って末沢川を諦める天候の時のエスケープとして斉藤さんに問い合わせ、そして彼が奨めてくれたのだった。結果的に台風は前夜に去った後だったが末沢川どころか荒川の車止めに向かう林道が冠水通行止する程の増水で断念、急きょ岩手県まで転戦した顛末がある。
その時のメールを思い出して「荒川本流でカクナラ泊まりってどう?」となったのである。

荒川の車止め上流に架かる大石橋。私には想い出深い吊り橋である。私の源流釣り第一歩を記した石滝川から山越えでヘロヘロになって帰還して汗だくの身体を荒川に首まで浸かりながら眺めた吊り橋である。
「あれを渡ると祝瓶山に行くんだなぁ・・」
(その頃は石滝川源頭という思いのみで主峰大朝日岳は全く念頭に無い。)
そう思ったものだった。
「真ん中まで行くからさぁ、写真撮ってくれない?」
そう義弟に言い置いて橋の上に立ったのだった。
初秋の風に吹かれながら見下ろした水の緑に感動した。そしてその時、本人が気付かぬところで源流釣り屋への第一歩が始まっていたのだった。
爽快感の中で眺めた大石橋がとても印象に残っている。そう、大石橋こそが私の爽快感の原点なのかも知れない。
吊り橋というと頭に浮かぶイメージはどんな橋だろう?
私のイメージする吊り橋はいつもこの大石橋である。
荒川の車止めには何度か訪れていた。車止めからなだらかに下る道がそのまま荒川の流れに吸い込まれる。この先には車が入れる道は無い。源流への入り口に相応しい風景。車道が登山道や踏み跡ではなく川に吸い込まれるように消える。その風景の先に写る吊り橋。
それでもいつもこの橋には背を向けた釣行ばかりだった。でも、そんな折にも私は必ずこの橋を振り返り「行ってくるね!」と挨拶をしたし、帰還の際にはこの橋を眺める事で完結としていた。荒川の流れに足を浸し大石橋を眺める時だけに味わう郷愁とも懐古の情とでも言おうか源流釣り一年生の頃の自分が橋の上で手を振っている姿を見ていたのである。
橋というものは吊り橋に限らず目的に向かう者にとっては途切れた道を繋いでくれる。道はまだまだ続いているのに橋が無いばかりに気の遠くなるような遠回りをしなければならない時もある。戦争時にまず橋を落とす事が鍵とされたりもする。
橋の向こうに何があるのか・・・、新しい何かがあるのかも知れないし変わり映えの無いものばかりかも知れない。でも何かの区切りを付けたい時には打って付けの場面でもある。この橋を渡り切る事は過去の自分を乗り越えて行くこと。次にこの橋を眺めた時に見える自分は、橋の上で立ち止まって手を振っているだけなのか、ザックを背負い意気揚々と渡って行く姿なのか・・・。
と、何かを吊り橋に例えて重苦しく始めた遡行記であるが、内容は至って単純である。”やはり吊り橋は怖かった!”というお話。
大石橋を元気良く渡った一行は平坦な登山道を軽快に歩いて行く。小沢を渡渉し二つ目の橋を渡る。橋の規模は村の財政を反映してか縮小傾向にある。そして3つ目の橋は財政と人材不足を反映して更に縮小傾向にあった。
ワイアーに丸太1本の三つ目の橋。これに負けたのがまっちゃんである。
「あのぉ、怖いので下を行きます・・・」
「ン?あっそ、じゃあ下から写真撮ってちょうだいね。」
仲間の気持ちは何処吹く風、吊り橋を渡る自分たちの雄姿を写真に残す事が最優先するのである。

まあ急ぐ旅でもない、高台でまっちゃんを冷やかしながら小休止である。
原さんとナベちゃんが下を見下ろして声援を贈る。他人の釣りに興味の無い私は山側を眺めていた。
ん?!其処には頃合のヒラタケが・・・。
「ラッキー!」とばかりに二人に声を掛けると早速に二人ともヒラタケに心を奪われ、まっちゃんは一人渓底に置いてきぼりとなったのである。
興味の無いのも当たり前で予想通りと言ってしまえば簡単なのだが、やはりまっちゃんは1匹も釣れずに戻って来た。よせば良いのに「これくらいのが5~6匹!」と両手を20cm幅に開いて興奮している。竿を出していたポイントに岩魚が泳いでいたと言うのである。
「居るんなら釣って来いよ!」
と3人に叱られたのも当然であろう。まあ、まっちゃんだからいいか・・・。(笑)
食材にヒラタケを少量だけ採ってカクナラ小屋へと歩き出す。
「あと40分!」
気合を入れて急坂の登山道を登り切ると?????
「あれ!カクナラ小屋じゃない?」
「ホントだ着いちゃった・・・」
何と沢から1分で小屋に到着。40分がたった1分に気合抜けしたが、近い事は良い事だと肩からザックを下ろす。
ナベちゃんは小屋嫌い。
「高台に良いテン場が有って・・・」
と盛んに大玉沢のテン場まで行きたそうにしていたが、何と言っても雨である。夜にも雨が予想されるところに持って来て、目の前に小屋が有ってわざわざ野営するのは如何なものか?と全員の目が訴えている。原さんはさっさと小屋の一番奥にザックを運び込んで「ここに泊まる!」と意思表示。小屋泊まりと決定したのだった。
外は雨、小屋の中は真っ暗。
どちらを取っても快適さのカケラも無い。しかしそこは釣り屋である。”雨の釣りは釣れる!”と自分に言い聞かせて釣り支度を始める。こんな時、以前なら率先して「宴会!」と宣言。釣りもせずにそちらに雪崩れ込む可能性大だった。
しかし今回は原さんがいる。原さんばかりでなく根がかりの若手はみんな釣りが大好きである。そして袖沢でそれを目の当たりにした時から、私も渓を楽しむ彼らを見習い必ず釣りをする様になった。そしてナベちゃんは本来、無類の釣り好きである。全員一致で釣りに向かう。
原さんとナベちゃんに本流を任せる。私とまっちゃんは先ほどの沢に入る。状況は笹濁りの好条件、釣れない筈は無い。
そう、「釣れない筈は無いのだよ、まっちゃん!」(笑)

「あそこだ!此処だ!」と竿を出すポイントをアドバイスしながら歩く。
ポイントに竿を出す毎にまっちゃんは必ず私を振り返りニヤリと笑う。アタリがあるのである。しかし次の瞬間には脹れっ面に早代わりをしてしまう。アワセきれずに岩魚が鉤掛かりしないのだ。何度も繰り返した不発に切れ気味のまっちゃんは子供の様に水面を竿で叩き始める。
「おいおい、君が切れるのは構わないが俺の竿に八つ当たりするなよ・・」と心で呟く私である。
状況を見ているとドバの釣りに慣れていない様子。ブドウムシを使うようなアワセでは早過ぎて釣れないのも当たり前だ。私とて川上さんのお墨付きを戴いたくらい誰にも負けない釣り下手であるが、今の状況は上手下手を問うクラスの釣りではない。”わざと釣らないのか?”と疑いたくもなる。
私なりに釣り方を簡単に教えて1匹を釣らせる。コツが判れば後はダイジだ。その後数匹釣り上げてまっちゃんの機嫌も治った様だ。雨も強くなり、巻くのに厄介そうな滝が出たので納竿とする。
テン場に戻るが本流組はまだ帰っていない。まっちゃんと相談して小屋の前に宴会用のタープを張る。やはり宴会は外がいい。それと言うのも釣りから帰った時に見てはならないものを見てしまったからなのだ。
蛇・・・

まっちゃんの必死の調査探索で蛇を捕獲。何と、マムシ君である。
まっちゃんはマムシを喰うと言い出すが「そんな事をするなら絶交してやる!」と脅しを掛けて思い止まらせる。しかしまあ、私の知り合いにはマムシに目が無い御仁が多い事、まったく困りモノである。そう言えば去年のマリちゃんは今頃はマムシ親父のお宅で焼酎の風呂でお肌スベスベ状態だろうか・・・。
床下に蛇が居る小屋で宴会なんか死んでもやるものか!
そんな具合でまっちゃんとタープ張りの準備を始めたのであるが小屋の前のベンチの上にタープがかかる様にメインロープを張るって一方の支柱として旧カクナラ小屋の屋根が丁度良い位置にある。
ロープを引きながら旧カクナラ小屋へと歩み寄る。屋根の棟を越えてしっかりとロープを・・・・と思いながら旧カクナラ小屋の入り口の軒天を見上げたらゲゲゲッ・・・!
今度はブッ太い青大将がいるではないか!
もうダメ、僕は何にもしない!!
とベンチに腰を下ろして不貞腐れたところに本流組のご帰還である。

こうして書いて来ると如何にも宴会に頃合の時間かと思われるだろうがまだまだ11時である。
しかし良いのだ!
話を聞くと本流はお祭り騒ぎの釣りだったらしく、原さんは「岩魚の口からカエルの足が二本!」と興奮冷めやらぬ口調で楽しそうである。ナベちゃんもいい釣りが出来たみたいである。我々二人を加えて全員が楽しい釣りを出来たというのは大満足である。
「昼、何喰うべぇ・・」などと言っている内にビールの空き缶が転がり始める。
氷結サワーにまで手を出し始めウダウダと際限の無い宴会は続く。寝不足と酒の酔いが回っているのとで誰の目も虚ろである。夜用の梅酒・ウイスキー・焼酎まで引っ張り出す始末で昼飯に何を喰ったか未だに思い出せない。ん?喰ってない・・・かも。
とうとう昼酒に原さんがダウンしたのを機会に昼の部を終了し全員沈没。
夕方4時過ぎ。明るいうちに夕飯の下ごしらえをしようと小屋から這い出しタープ下へ移動。まっちゃんも起き出して来て二人で酒の肴作りに専念。ちびちび飲み始めているとナベちゃんも参戦。何故かタープが大きく音を立て始め風も強くなる。
「ナベちゃんよ~、寝てていいからさぁ・・・。」
三人で笑いながら雨の宴会が始まる。

原さんが長い眠りから起き出した。良く寝て楽しく飲む若者である。
宴会は一気に明るくなり話題が次から次に繰り出される。川上さんや斉藤さんの思い出話が楽しく交わされる。渓の宴会で話題にされるのは二人にとって良い供養なのだ。
「あの時は・・・」
と斉藤さんと行った八久和川や荒川を思い出しながら楽しそうに話す原さんの目に涙が光っていた。
明けて翌朝。
雨の音は一晩中止まなかった。目が覚めて暫くシュラフの中でモゾモゾしていたが小便を我慢出来ずに小屋から出ると外は既に明るかった。小屋の中が暗いので夜明けが全く判らなかったのだ。
私が起き出した気配にみんながゴソゴソやりはじめる。今日は早めに上がって温泉と決めていたので全員起き出すと早々にパッキングが始まる。みんなは朝食を食べないらしく一人ラーメンを作り始めた。腹が減っては歩けないではないか・・。
ラーメンを喰い終わるのを合図のように帰路に着く。
「まっちゃん、今日は嫌でも橋を渡らないとね。」
原さんが笑顔でまっちゃんの顔を覗き込むように言う。原さんの言うとおり今日の荒川は濁流と化している。沢の方からも踊るような流れが吐き出されていた。とてもじゃないが橋をエスケープして渡渉など出来る状態では無い。

「どうしたのかなぁ・・」
そう思いながら私も次に続いた。
橋の中間に来てナベちゃんのおかしな傾き方が理解出来た。慎重に渡りながら足元を見るその目線の先に荒川の轟々とした濁流が写る。その流れに誘われて平衡感覚が乱れて来るのだ。まるで橋の上から引き込まれる様な感覚である。私は危うくラーメンを戻しそうになり口を硬く閉じたのだった。
私に続くまっちゃんは大きな身体に不似合いなほどヨチヨチとした足取りで、泣き出しそうな情けない顔をして渡って来る。自分が渡り切れば後は笑うだけである。原さんは平然として渡って来るので詰まらないなぁ・・。
ところで、我々は川を遡行したり壁をへつったりと日常的に当たり前の様なものだから1本丸太と言えども吊り橋と名の付いたものであれば上等と考えてしまうのであるが、この道は登山道である。登山道は老若男女問わずに歩くものだろうが、こんな橋を平然と渡るジジババやうら若き女性がいると思うと不思議である。山屋恐るべし!
さあ、大石橋に着いた。今回の釣行も完結である。
着替えを済ませて車道の末端、荒川の流れでシューズを洗う。
「また来るからさ、よろしくね!」
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